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精工舎 SEIKOSHA

34. ハノイ万国博のメダルラベルの時代背景と謎

仏領河内博覧会 金牌受領

明治41年7月 精工舎製時計要覧(服部時計店刊)より

1902年(明治35年)〜1903(明治36年)にハノイで開催された万国博は、 ベトナムが当時フランスの植民地で仏領インドシナと呼ばれていたためフランスの植民地博覧会でした。 この博覧会を平野光雄さんの本では「東洋農工技芸博覧会」と呼んでいますがこれは博覧会の性格を文字に表したものと思われ、 万国博覧会(国際博覧会)と言ったほうが今は分かりやすいでしょうか。 受賞のメダルの絵にもEXPOSITION DE HANOI GOLD MEDALとあるようにエキスポとも呼ばれています。 ハノイの万博ということです。 (精工舎蔵、昭和初期工業調査票には仏領東京河内(トンキンハノイ)区東洋農工技芸博覧会と出ています)

この博覧会の詳細は不明ですが、1902年の11月16日〜1903年2月15日までハノイ市で開催され会場規模は16.6haでした。 日本からも産業界から色々出品されていますが国内時計産業は精工舎単独での参加だったのかどうかは不明です。 精工舎は置、掛時計を出品、金牌を受賞しています。(置時計も受賞に含まれるのかは不明) 平野さんはこの年を次のようにまとめています。

「この明治35年という時代は精工舎の発達史のうえで、十年一区切と言われるように、エポックを画した時期であった。 換言すれば、この時代はまさに服部時計店(精工舎)が日露戦争に後に続く、 大正初期の第一次世界大戦時の飛躍的大発展を迎える前夜にあたっていたといっても、けっして過言ではなかろう。 それゆえ明治35年度はハノイ市博覧会における金牌獲得を含めて、精工舎にとっては商況おおいに隆昌におもむいた、 意義深い年であったといわねばならぬ。」(時計亦楽より)

意義深い海外受賞は我国時計産業界が外国政府から初めて認められた嚆矢であるにも関わらず、 この博覧会の受賞に関する記録や資料はあまり知られていないのが現状です。(精工舎の資料にも記載が少ない) 平野さんのわずかな記録以外はほとんど資料がなく、時期的にいえば明治36年度中にも精工舎製品にこのメダルラベルが出現しても 不思議ではありませんがまだ断定する資料が有りません。 名誉の受賞はいち早くラベル化されたと常識的には思いますが考証に足るカタログも未発見です。

服部時計店営業一覧カタログの初版(明治35年9月版)は良く知られていますがこれは時期的には早すぎ、 この服部時計店営業一覧の第二版は明治39年1月発行ですが、この改訂第二版カタログにはメダルの事は一切出てこないという 不思議なカタログです。 服部時計店営業一覧は明治36年から38年までは35年の初版を再版して使っていたようで初版と同じものですからメダルは載っていません。 同時代の他の精工舎のカタログが参考になりそうですが、まだ未発見でお持ちの方はご一報ください。 今のところ確認ができるのは明治41年7月版精工舎製時計要覧(服部時計店発行)にラベルと同じメダルの図版と 「仏領河内博覧会金牌受領」の文字が現れてきます。40年代の服部時計店営業一覧も同様でメダル図版が見られます。 なぜ39年服部時計店営業一覧にメダル記載がないのか?またほかの精工舎の30年代後半のカタログにはどうなのか? ・・・謎の空白域です。

明治37年2月に勃発した日露戦争は、未曾有の消耗戦になり、 精工舎も軍の軍需生産転換命令により時計製造を縮小して昼夜兼行の軍需生産を明治38年10月の講和までの1年余担っています。 この戦争がこの空白域に影響を与えた事は明白で、この混乱期もあり、メダルラベルがいつから使い始められたのか?を未だ断定できずにいます。
現物資料を含めて時代判定に参考となる資料をお持ちの方は是非ご協力ください。 もう一つの謎はそれまでの扇S、鍵Sラベルがすべて新しいメダルラベルに切り替わったのか? または一時期併用されたのではないかとも思っていますが・・詳細は不明です。

メダルラベルの種類と時代編年

まず、精工舎のメダルラベルに関係する博覧会(万国博・勧業博)の年代は次の通りです。
ハノイ万国博覧会 ・・・ 1902年(明治35年)〜1903(明治36年)
東京勧業博覧会  ・・・ 1907年(明治40年)於、上野公園

振子室のラベルは、この博覧会で受領したメダルの数と種類で以下のようにいくつかに分類できます。

  1. メダル2枚ラベル(ハノイ博覧会受賞のGOLD MEDALの表裏図と思われる)
    明治30年代後半〜40年代初期
    @ 白地黒文字ラベル
    A 黒地金彩文字ラベル
  2. メダル4枚ラベル(左に2枚、右に2枚重なっているメダル)
    明治40年代初期〜大正初期(左のメダル2枚がハノイのメダルで右のメダル2枚が東京勧業博覧会、銀牌受賞のラベルなので)
    B 黒地金彩文字ラベル

上記のラベルが使われた時期について、確固たる時代判定ができる資料が無いことから、 当時のカタログを参考に考えると、 以下の事実から、2枚メダルラベルから4枚メダルラベルに移行するのは明治41年後半以降ではないかと推測します。

  • 明治41年7月精工舎製時計要覧カタログ
    佛領河内博覧会金牌受領、2枚のメダルの図版(表裏)のみ掲載
    東京勧業博覧会銀牌受領(明治40年の)のメダルの図はまだ掲載なし
  • 明治43年の服部時計店営業一覧のカタログ
    ハノイのメダルと東京勧業博のメダルの両方が載っている

東京勧業博覧会 名誉銀牌受領

(左から、ペガサスの図、宮中の雅楽と火焔太鼓の図
ペガサスの上には「東京勧業博覧会 明治四十年」の文字、
雅楽の上には「名誉銀牌」の文字)
明治43年 服部時計店営業一覧より

金銀銅牌 受領

アノイ博覧会 金牌受領
明治44年 服部時計店営業一覧より

アノイ博覧会 金牌受領

明治44年10月 服部時計店営業一覧第五版より

メダルラベルの種類と時代編年に関する現物確認情報

メダル2枚ラベル 白地黒文字ラベル

明治四拾年七月十五日求む
背板の書き込みにて購入日が東京勧業博覧会の会期中であることを確認 ・・・ K様より

東京府勧業博覧会(明治40年 3月20日〜7月31日)

東京勧業博覧会全図

53x39cm、石版印刷、明治39年12月29日博覧時報第2号付録
東京銀座玉屋商店の名前の入った博覧会案内図

  • 著作者     東京市麹町区富士見町五丁目十六番地  杉崎秀明
  • 印刷発行者  東京市京橋区木挽町二丁目十四番地   小川福太郎
  • 発行所     東京市 同上                   博覧時報社

東京勧業博覧会全図

32x23cm、石版印刷、
森永西洋菓子製造所(後の森永製菓)の名前の入った博覧会案内図
チョコレートクリームは日本で初めてカカオ豆から一環製造したチョコレート菓子。

【会場】東京・上野公園
東京府が主催。会場は不忍池まで広げられ、弁天島を結ぶ観月橋ができ、開会式の日に渡り初めが行われた。 呼び物のひとつが「電飾」(イルミネーション)であった。

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