TIMEKEEPERのバナー

明治の時計塔

8. 北越新報社時計塔(長岡市)

長岡市 坂の上通り全景

明治後期

明治42〜45年頃の長岡市の北越新報社屋の時計塔です。 日本の時計塔は東京などの都会を中心に発展してきましたが、 時代の流れにより文明開化のシンボルとして地方にもその影響が及んでいます。

明治40年4月、地元紙(長岡)の越佐新聞と長岡日報の両者が合併して北越新報を発刊。 明治42年、坂之上町二丁目に新社屋を建て屋上に時計塔を設け、長岡名物になりました。 木造3階建の洋館でこのような本格的な4面時計塔は地方では珍しく新潟県内ではここだけですが余り知られていません。 都会ではすでに時代遅れとなったスタイルの時計塔ですがこの北越新報社の時計塔は京屋組の時計塔を思わせるクラシカルな 時計塔で鐘塔が有る所から鐘が鳴ったものでしょう。 古い時計塔のスタイルですので機械は電気時計ではなくそれまでの一般的な重錘引きの機械ではなかったかと思いますが 詳細は不明です。 長岡は豪雪地帯としても有名で、近年は温暖化の影響で昔ほどではなくなりましたが、 昭和20年には積雪2m95cmを記録したほどです。 雪を被った時計塔は都会では見れぬ風情で、近景の土蔵と大雪、雪中の子供らの騎馬戦も面白いですね。

乾電池や電気時計の発明で有名な屋井先蔵や鶴巻時計店英工舎の創業者、 鶴巻栄松の郷里としてこの時計塔もつながりがあるかのように輝いています。 北越新報社はその後、第二次世界大戦に入り言論、用紙統制のため「1県1紙」の国策のもとに、新潟日報に統合されました。

北越児童雪中朋馬遊び

左が北越新報社屋

長岡市坂上町通り二丁目

長岡全市 北方面

Issued by Kamiya &. Co.

北越新報社全景 並 輪転機

北越新報発刊四十年記念

昭和初期頃

北越新報本社前景

昭和初期頃

雪の長岡全市

昭和初期頃

北越新報は、昭和20年8月1日の長岡空襲にて、社屋・時計塔ともに焼失。

北越新報社時計塔の位置

北越新報本社は青矢印の所

PR




左向きの矢印前頁1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15 / 16 / 17 / 18 / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / 24 / 25 / 26 / 27 / ・ 次頁右向きの矢印