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時計錦絵

14. 文明開化曼荼羅(仮称)

文明開化曼荼羅(仮称)

石版印刷(東京三間印刷所製)
明治〜大正?
69×114cm

昭憲皇太后御歌

何の目的で作られたのかよくわからない内容の石版画ですが、軸の上の山には五重塔が有り、雲間に洋館が建ち並び、 山には金の成る木が茂り?気球が浮んでいます。 その下には官庁の様な学校の様な洋館が有りその下に城がそびえています。 その右に昭憲皇太后御歌の「金剛石の御歌」が掲げられ、左下には八角ボンボン時計型窓枠に時計塔が見えます。 (これは御歌にちなんだ図という事でしょう) その左には銭湯の暖簾が見え、下へ行くと汽車や自動車が走り、田には着物を着た蛙が坐して隣には白熊がいます。 下の川では川汽船が沈没して、何かのストーリーが有るのかもしれませんが題名や解説がありませんのでちんぷんかんぷん・・ という事で文明開化曼荼羅としました・・・分かる方は教えて下さい。

明治30年代に、日本を代表する石版印刷所として、東京に三間印刷所、大阪に日本精版印刷所が設立され、東西でポスター製作の技術を競い合います。 そんな石版で刷られた画面は、今日では表現できない深い味わいを持っています。

謎解き中です・・・

台地の上の城は皇居

五重塔は上野の東照宮

気球は浅草の興行

女子高等師範学校(お茶の水大)

時計塔は工部大学校

風呂は赤坂風呂屋町

山王神社

愛宕山の灯台

五重塔は池上大門

新橋から横浜に向かう汽車

東京湾に沈む船

謎の白熊

八角ボンボン時計型窓枠に時計塔

工部大学校か(この時代にも博物館かなにかで残っていた)

昭憲皇太后御歌 「金剛石」

金剛石も、みがかずば、玉の光は 添わざらん。
人も、学びて(のち)にこそ、まことの徳は 現るれ。
時計のはりの絶間なくめぐるがごとく、時のまも、
光陰(ひかげ)(おし)みて(はげ)みなば、
いかなる(わざ)かならざらん。

水は器に したがいて、そのさまざまに なりぬなり。
人は(まじわ)る友により、よきにあしきになりぬなり。
(おのれ)(まさ)るよき友をえらび求めて、もろともに、
心の駒に(むち)うちて、(まなび)の道に進むべし。

昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)

1849年4月17日(新暦5月9日) - 1914年4月9日

明治天皇の皇后。旧名、一条美子(いちじょう はるこ)。 1912年(明治45年)7月30日、明治天皇が崩御し、皇太子嘉仁親王が践祚すると同時に皇太后となった。

維新期の皇后として社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現学習院女子高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)の設立、 日本赤十字社の発展などに大きく寄与した。 津田梅子ら女子留学生の派遣にも大きく関わったとされる。 また、生涯に3万首を超える和歌を詠み、その一部が『昭憲皇太后御集』として伝わる。 御歌としては、1876年(明治9年)2月、東京女子師範学校に下賜した校歌「磨かずば玉も鏡もなにかせむ学びの道もかくこそありけれ」 (玉も鏡も磨かなければ何にもならない。勉強もそういうもの)が有名であり、 また、華族女学校の教育指針を詠んだ「金剛石」「水は器」等も、尋常小学校唱歌として広く歌われた。現在も、学習院女子中等科・高等科で歌い継がれている。

崩御に際して「ロンドンタイムズ」は彼女の功績を高く評価する記事を掲載した。

出典 : ウィキぺディア

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