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時計錦絵

7. 東京名所 州崎遊郭之遠望

明治三十五年三月十日印刷、同年同月十五日発行画作兼印刷
発行者東京市日本橋区馬喰町三丁目四番地渡邊忠久

浜風に涼むお姉さんと、満月に浮かび上がる二つの時計塔!

東京名所と題された、当時観光土産代りに人気の有った明治石版画です。

近年、からくり付きの街頭大時計が人気を集め全国的にブームを起こしています。 からくり付きの塔時計の歴史は古く、ヨーロッパに於いては14世紀の機械大時計の発明と共に出現しています。
日本においても明治維新と共に塔時計が文明開化、近代化のシンボルとして輸入されブームを起こした時期が有りました。 これら明治初期の塔時計の機械はファーブルブラントにより輸入され、新しく建築された洋館はもとより蔵作りの和風建築にも 塔時計が取り付けられ新しい時代のシンボルとなって、人々の生活の町の格好の道しるべとしても人気が有りました。
時代順にあげる以下のように、相次いで設置されています。

特に時計店の塔時計は当時の看板として注目され、京屋時計店が「外神田の大時計」小林時計店が「八官町の大時計」として市民に 親しまれていました。

もう一つの時計塔の花形は当時の社交場として賑わった遊郭です。
新しい情報が集散し、財力があり、時間管理に関心の高い遊郭に西洋の正確な時計が導入されたのは極当然の事だったのでしょう。 岩亀楼に続いて明治17年には東京の新吉原遊郭の角海老楼、そして明冶22年の州崎遊郭の八幡楼に設置された時計塔は市中の 名物的存在でした。 州崎遊郭は明治5年頃新吉原遊郭と共に東京市内に許された三つの遊郭の一つの本郷根津遊郭を移転したものでその開始は明治21年です。 その中で第一の大楼であった八幡楼は建築及び庭園の雄大さをもって鳴り、その点では市中の妓楼中、右に出るものは無かったといわれ、 その名物的名声と共に櫓時計型時計塔も市中に知れ渡っていました。
機械はファブルの輸入した外国製とおもわれ、文字板径5尺、時打付、その音はややかん高かったといいます。 夜間は文字板周囲に灯火を灯したから灯台代わりの目標にも成りました。
しかし、大正3年頃漏電に起因する火災で25年にも長きにわたって親しまれてきた時計塔は焼失してしまいました。
右手海岸端に見えるのが八幡楼時計塔であり、左手に見えるのが甲子楼時計塔です。 この甲子楼時計塔は明治35,6年以前に暴風雨で倒壊したため新甲子楼時計塔が作られています。その新旧どちらかは不明ですが、 平野光雄さんの時計塔記には詳細不明となっていますし、図版も未載のものですので資料的にも大変珍しいと思います。 このように至近距離に大きな時計塔が二つ見える光景も壮観で類例を見ません。

参考文献


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