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明治の時計塔

4. 参謀本部時計塔

観兵式御幸図 明治20年

観兵式御幸図

石* 国保 画 明治二十年一月 御届
画工出版人兼 神田区紺屋丁二十八バンチ 福田 保
《 個人蔵 》

参謀本部時計塔

明治11年(1878)、それまでの参謀局は廃止され、国防及び用兵上の一切の計画をつかさどる参謀本部が設置された。 明治12年(1879)、この参謀本部の建物が井伊大老の屋敷跡である麹町区永田町一丁目一番地(現在も同じ)に竣工、 設計監督者はイタリア人建築家シャン・ピンセンソ・カペレーチ(G.V.Cappelletti)であった。

「明治東京時計塔記」平野光雄著 より引用
(昭和43年6月10日発行、明啓社刊 - 改訂増補1000部限定)

この錦絵は日比谷練兵場における観兵式を描いたものと思われますが、中図に参謀本部とその時計塔があります。 時計塔は文字板の直径が四尺と小さく、機械は輸入品であったのではないかと云われています。 時計は大正6 年の補強工事の際に石組みとともに取り外され、建物自体は関東大震災にも耐えましたが、昭和20年の空襲で焼失しました。

参謀本部の時計塔

参謀本部の位置

参謀本部の写真・絵葉書

明治20〜30年代(推定)

鶏卵紙写真

新潟市文化財 旧小澤家住宅 提供
新潟市文化財旧小澤家ホームページ

写真のサイズが名刺くらいの小さいものですから時計塔が不鮮明ですが、 明治時代の陸軍参謀本部時計塔の鶏卵紙写真です。

大正6年以前

参謀本部(東京名所)

The Military Head Quarter, Tokyo.

ぼんやりですが、時計塔が確認できる貴重な絵葉書です。 建物手前の銅像は、明治36年に大熊氏広(おおくま うじひろ)という人物が作った銅像で、 有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)の銅像です。 銅像は現在、有栖川宮記念公園に移設されているそうです。

大正6年以降、関東大震災以前

櫻田門より参謀本部遠望(東京)

Military Head Quarter
Looking from Sakurada Gate, Tokyo

この絵葉書の写真には時計はもうありませんので、時代は大正6年以降で関東大震災以前と思われます。 大正6年の補強工事を施した際に、屋上のパラペットとともに取り除かれてしまったためです。

絵葉書の写真の撮影場所を探ってみました。以下の地図の青線のようです。

錦絵の観兵式の会場は、この地図で司法省&大審院のある場所、「陸軍操錬所」と思います。

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