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6. 吉沼又右衛門時計保険證

吉沼保険證 @ 明治20年

明治20年9月26日

19x25cm 石版印刷(東京商標社石印)

同じ時計商の保険証を経時的に見ると歴史的事実が垣間見えてきます。 吉沼又右衛門のもので比較してみましょう。

まず始めの@は吉沼が時計店として創業して間もない頃のものです。 石版印刷の桐と鳳凰の飾り枠に吉沼時計舗の背景文字入りの中に以下のようにあります。

表面

裏面

保険の条項はその後の保険証も同様な内容が多く、商館貿易の中で外国の商習慣を参考にして国内に取りいれられたものでしょう。 最初の一年は修理無償、毎年のメンテで30年の受け合い保証と言う長いものですが、明治のジャンクが修理で今でも立派に現役復帰してますので、 あながち無理難題保証ではなかったのかも知れませんね。 もっとも会社の方が30年持ちませんでしたが。 第四條は吉沼独自の買い取り保証だったようです。 また他人に譲渡しても保険は有効と言うのも太っ腹? 印章も名前より時計師という称号の方が大きく、誇らしげです。 屋号が入山平で、明治20年にはすでに小網町に支店が有った事が分かります。

吉沼保険證 A 明治26年

明治26年5月4日

20x25cm 石版印刷(芝区鳥森町一番地佐々木石印)

@と同じ保険内容ですが住所に製造工場の名前が出てきます。

この保険證が発行された時期は、明治26年4月に兜町の旧店舗を取り壊し、当時流行の時計塔付三階建煉瓦石造館を新築した頃です。 明治24年以降香港、シンガポール、上海等に輸出を始め、海外輸出を目的とする大量生産を志した時代でした。 最初の時計工場は明治22年頃日本橋南茅場町に設けてその後小石川へ移転したと言われてますが、小石川に移転したのは最初は初音町で有った事が分かります。 印章は「吉沼本店保険證券之印章」に変わっています。

吉沼保険證 B 明治29年

明治29年1月廿三日

19.5x26cm 石版印刷(東京新橋出雲町東京商標社石印)

Aと同じような保険内容ですが住所に第一製造場と第二製造場が現れてきます。

この明治29年には従来に加えてボンベイ、カルカッタ方面等へも販路を開き、 月産ボンボン個数2400個、八角時計1200個を数え、同年9月には吉沼工場を資本金20万円の東京時計製造株式会社に改組して、 自ら社長に就任した一大発展期でした。 工場も小石川戸崎町と表町の2工場になっています。

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