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時計すりもの

1. 引札とは

引札は江戸時代から明治、大正にかけて広く用いられた広告用チラシの事をいいます。 開店や売り出しなどの時に配られ、正月には現在の名入れカレンダーのように略歴を入れた絵ビラと呼ばれた石版多色摺りの引き札に 人気が有りました。 はじめは、江戸、京都、大阪などの大都市を中心に配られていましたが、幕末頃には全国に広まりました。
江戸から明治初期は木版摺りでしたが、明治中期になると印刷技術が進歩して銅版や多色摺りの石版印刷が主流になります。 しかしその後、絵看板と呼ばれたポスターが登場するとやがてその役割をポスターに取って代わられるようになり、 華麗な引札も大正をピークに衰退していきます。

引札の絵柄は、エビス大黒などの福の神、縁起物が定番ですが、中にはカタログの様な商品を載せたものや包装紙として使われた ものなど業種によっても色々なスタイルが有ります。美術的にも資料的にも大変面白く、時代を映した貴重なものが多くみられます。

2. 大隅源助の引札

大隅源助引札 木版墨摺、江戸末期

引札は広告用チラシですが、古くは薄手の和紙に木版摺りされてカタログや包装紙も兼ねていました。 浅草茅町二丁目の大隅源助商店は寛政九年開業と言われ、江戸後期の職人録には「分見道具」いわゆる測量道具を扱う店として記されています。 この江戸末期頃と思われる引札には御眼鏡細工所、分見町見道具類、磁石、時斗類などの取り扱い品目が描かれていて、 当時の最新の国産と見られるハイテク商品が並んでいるのが興味深い。 この大隅の引札は江戸後期〜明治版まで少しずつ内容の違うものが10種類以上知られていています。

江戸の両面摺りの版には櫓時計と名打って台時計(和時計)が描かれ、 また明治初期の版には尺時計が八角レバークロックと一緒に載っているなど、和時計の普及の実態を知る貴重な資料となっています。 和時計は江戸初期に出現し、大名の占有物で有った事から「大名時計」とも呼ばれていますが、 江戸中期〜後期には時計師も町へ出て商売をするようになり、江戸後期の買い物案内のガイドブックには時計師の名前が出てきます。 しかしその販売形態や普及の実態はよく分かっておらず、このようなカタログに商品として和時計の図が出てくることは極めて稀な事です。

大隅源助は当サイトに所載の 「諸品商業取組評初編」(明治12年) 時計商の番付 に年寄として別格の扱いになっている時計商としても老舗ですが、 明治25年日本全国商工人名録の時計商の項目に「浅草茅町二の五大隅商店、野村源助」とあり大隅は屋号で有る事が分かります。 和時計のカタログの存在は殆ど知られておらずこの大隅源助の引札の存在は貴重なものです。

尺時計(中央上)

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