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懐中時計の基礎知識

5. シリンダーエスケープメント(整動機)

シリンダー整動機の、アンクル整動機と異なる点は、シリンダー(アンド)・ガンギ車及振切止の位置等であるが、 其の中最も異なる点は、アンドである。
アンドは、アンクル整動機のアンクル全部及タボ座・タボ石・天真等の働きをなすのであって、 シリンダーをアンドと云ふのは、本邦昔時の座敷、アンドンに似て居るが故に、命名された本邦の訳語である。
アンドは竹の筒見た様な、鋼の筒の中間の一部を、半分足らず約百六十五度位切取り、其下部の方を四分の三、 約二百七十度位切取ってある。 此の半分足らず切取ってある所は、ガンギ歯の通過する通路となり、下部の四分の三位切取ってある所は、 ガンギ歯の腕を通過せしめ、且つ腕に接触せざる様設けられたるものである。

此のアンドは、四つの部分より成り、即ちアンド筒、上部鋼栓、下部鋼栓、及ヒゲと天府の嵌る座金(天府台とも云ふ)等で、 座金は真鍮製で、他は全部鋼製である。 上部鋼栓は、アンドの上部より上部切口迄打込んで上端はホゾに切られ、 下部鋼栓は、アンドの下部より下部切口迄打込んで下端はホゾに切られて居る。 アンド筒は、天府座金(天府台)に打込まれ、其の位置は、天府座金の下端がアンド筒の上部切口と並ぶか、 又は少し上部にある位である。

ガンギ車の歯は十五本で、歯の形状は三角形をなし、歯の腕金に依って下部より支へられる。 アンドに力を与ふる所の歯の面、即ちインパルスフェース(開進面)は、歯の背角を通過するガンギ車の半径に対し、 背角より約六十四度の角度に傾斜をなして居る。 そして其面の長さ、即ち背角より閉止角に至る長さは、ガンギ車の中心より約十一度に切ってある。 背面は背角を通過するガンギ車の半径に対し、二十二度内外に切ってある。 内面即ちガンギ車の中心に向かったる面は、ガンギ車を中心として閉止角を通過する円周上にある。 閉止角の点を見出すには、ガンギ車の背角を通過する半径に対し、背角を起点とし六十四度の一線を引き、 それから同一半径に対して、ガンギ車の中心より十一度の一線を引く。 此の二線に相合する点が、即ち閉止角の点である。 インパルスフェース、即ち開進面は直線をなざすして弧をなす。 平たく云へば円の一部をなして居る。此の円即ち弧の半径は、ガンギ車の中心より閉止角迄の距離と同一である。

歯の中央、即ち背角より閉止角迄引きたる直線の中央の一点は、必じずアンドの中心を通過する様でなければならない。 故に、アンドの中心は、ガンギ車の中心より此の一点迄を半径として書ける円周上になければならない。
今、ガンギ歯が、アンドの内面に落下したと仮定する。 此時、背角より閉止角を通じてアンドの外面迄の距離は、ガンギ車の中心より測定して十一度二分の一で、 アンドの外面より閉止角及背角を通じて、アンドの反対の内面迄の距離は十二度である。 此の差二分の一度が余裕、即ちドロップである。 此の場合、アンドの中心はガンギ歯の中心(背角より閉止角迄の直線の中央)より四分の一度丈、 背角の方向のガンギ歯の中心を、通過するガンギ車の円周上にある。
アンドの筒の厚味は、ガンギ車の中心より測定して二分の一度で、ガンギ歯の閉止角より、 次の歯の閉止角に至る距離は二十四度である。

ガンギ歯と次のガンギ歯との空間の距離、即ちガンギ歯の背角より、次のガンギ歯の閉止角に至る距離は、 ガンギ車の中心より十三度に、アンドの外面より外面に至る直径は、ガンギ歯の中心を通過するガンギ車の円周上に於いては、 十三度に切られて居るが、アンドの切口より歯が滑り落ちた瞬間、即ち一方のアンドの切口が、 歯の背角を通過するガンギ車の円周上にある時には、其の切口の外面よりアンドの反対の外面迄の距離は、 ガンギ車の中心より十二度二分の一となる。 此の度合と、空間十三度との差二分の一度が即ちアンドが、歯と歯の中間に入った時のドロップである。

以上述べた所の、アンド及ガンギ車の角度や距離等の度合は、各時計製造会社の技師の経験に依って夫々設計されるのであるから、 幾分相違は免れないが、併し大体は之を基準として製造されて居るから、相違があるとしても極く僅少の差でなければならない。

アンドの上部切口は、時計の運転が停止して居る場合、即ち全舞が解けてしまって居る場合には、 正しくガンギ車の中心に向って居なければならない。 之をビートの姿勢と云ひ、刻音が調って居る唯一の証拠である。 此の際ガンギ歯は、アンドの中に入って居るか、又はアンドがガンギ歯とガンギ歯との中間に入って居るか、何れかである。
何れの場合でも、歯先とアンドの切口とを比較すれば、歯先がガンギ車の中心に近いのであるから、ネジを掛けて全舞を巻けば、 全舞の力は各伝車を通じて、ガンギ車に伝はる。
今アンドは、ガンギ歯とガンギ歯との中間にあるとすれば、ガンギ歯は進んでインパルスフェースに依って、 アンドの切口を押して力を伝へる。 アンドは押されて回転し、天府とヒゲを同行する。ヒゲは結局巻かれることとなる。 そしてガンギ車は、其の背角が切口を離れると同時に、歯先はアンドの内面に落下し、歯の進行は停止し、アンドは今少しく回転する。 今度は巻かれたるヒゲは、其弾力に依って反対に戻る。 即ち天府とアンドは、同時に反対に戻って来るから、アンドの内面を壓して居る歯先は切口を外れ、外れると同時に進行し、 前同様アンドに力を与えて、反対に天府やアンドを回転せしむる。 そして歯の背角が切口を外れると同時に、次の歯はアンドの外面に落下し、歯の進行は暫時停止し、アンドは今少しく回転する。 次に解けたるヒゲは、弾力に依って、天府及アンドを帯同して、又戻って歯を進行せしむる。 之等の運動を繰返し全舞の力が無くなってしまふ迄、運動を継続するのである。
アンドが今少し回転すると云ったのは、全体に於いて一回転の四分の三回転をなす範囲内である。 此のアンドの回転は、一回転の四分の三が最も正しいのであるが、若しも一回転以上回転したら、 アンドはガンギ歯に引っかかって戻ることが出来ない。 之を振切と云ひ、此の振切を防ぐ為に、天府輪の側面と天府押の下部とに各一本宛の真鍮栓がある。 之を振切止と云ひ、天府の振切止が押の振切止に遮られて、一回転以上に回転するのを防ぐのである。

此の二つの栓は、正反対の位置になければ其効力を失ふので、若し正反対の位置になかった場合には、 一方には半回転もすることが出来ないが、一方は半回転以上回転することが出来るから、振切を起すのである。 一般には、押の振切止は押の止ネジ穴とアンドとの一直線上にあるのが多い。 此の場合に於いては、天府の振切止は、其反対にあって同一直線上になければならない。 稀には天府押の下部に、此の栓がないのがある。 之はガンギ車のカナ真が、其代用をなすのであるから、天府の振切止は正しく其反対の側になければならない。 要するに、アンドの上部切口は正しくガンギ車の中心に向ひ、天府の振切止は、 正しく天府押の振切止(五番真が代用するものは五番真)の正反対の位置になければならない。

天府輪に一つと、其下際の地板に三つの小さい円形の窪みがある。 之をドッツと云って、歯の進行の程度、即ち進程を示してある。 即ち、地板の一端のドッツと天府のドッツとが並んだ場合は、歯がアンドの切口を将に離れて、 アンド内に落込まんとする姿勢を示し、反対の一端のドッツと並んだ場合は歯が将に切口を外れて、 アンドの外に脱出せんとする姿勢を示し、中間のドッツと並んだ場合は時計が停止して居る時の姿勢で、 全舞が巻かれ次第、進行をなすと云ふ所の用意をなして居る姿勢である。

其時計が製造されし時に、ガンギ歯とアンドの喰合が正しいものであって、 而して其後一度も夫等が取替へられたことが無いものであったならば、此のドッツに依って、 ガンギ歯とアンドとの喰合状態を見ることが出来る。 即ち、之等ドッツの位置と姿勢とが合致すれば、喰合は正しいこととなり、然らざれば、喰合に異常を来たして居ると云ふことになる。

喰合は、前に説明せし通り、ガンギ歯の中心(背角より閉止角に引きたる直線の中央)が、アンドの中心を通過する程度が適当である。 喰合が適度であったら、天府は一回転の四分の三を回転し、調子良く運動をなす。 深過ぎれば、アンド内のユトリ皆無となり、天府はより大なる回転をなして遅れるようになり、 浅過ぎれば、ガンギ歯はアンドの切口より、切口を飛ぶ様に速く進行し、天府の回転は小さくなって速くなり、 非常に進む様になるのである。

チャリオット(ダルマ)とアンド用タガネ

喰合の調節は、チャリオット、即ち訳語ダルマと云ふものの移動に依ってなされる。 之は、アンド下ホゾ別受が地板の裏面、即ち文字板の裏の方にあって、其一方に、アンド下ホゾ穴及受石を有し、 反対の一方には天府押の足及ネジが取付けられる様に、二つの穴と一つの雌ネジが切ってある穴とを有し、 更に其の中央には二本の足が取付けられ、尚ほ雌ネジが切って、之に依って地板に取付ける様になって居る。
之を前後に移動せしむれば、天府押・天府・アンド等は同時にガンギ車に対して、近寄ったり遠ざかったり、 即ち喰合が深くなったり、浅くなったりするのである。 喰合を深くするには、中央の足の入って居る地板の穴の、ガンギ車の方を少し摺り、足を反対の方向に少し曲げると同時に、 ネジの入る穴のガンギ車の反対の方を少し摺るのである。 喰合を浅くするには、全部之と反対にやったらよろしい。

内面・外面落下 瞬間図

ガンギ車とアンドとの高さの相互関係も重要なるもので、之は時計を表にしても裏にしても、反対に裏返しても、 決してガンギ車がアンドの切込の上部にも下部にも接触してはならないのである。 それから、之等の天地のユトリも同一でなければならない。之が不同一であったならば、接触を来たすのである。 接触を来たせば、ガンギ車は踊る様にして後戻りをなしつつ回転し、遂に停止する。 尚ほ、時計を種々の方向にして、耳に当て音を聞けば、刻音以外に打ったり摺ったりする様な雑音を聞くのである。
アンドの天地のユトリが、ガンギ車のより大に過ぎる為、接触を来たす場合には、 アンドの内部よりアンド用タガネを以って、鋼栓を僅かに敲き出したらいいのである。 アンドが高すぎる場合は、ダルマの下に紙の一片又は二片を敷き、低すぎる場合は、ダルマの内面を少し摺っても宜しい。

アンドのホゾが折れたる時は、アンド栓拔用のタガネをアンドの中に当て、目打台を利用して敲き出し、 新たにキッチリ嵌まる位に鋼栓を作って打込みたる後、ホゾの寸法を合せて、レース又は手引ロクローにて挽くのである。 時として折れたる栓が固く嵌まって居て、抜けない様な場合には、其栓上の穴の周囲を金槌にて軽く敲ひたら抜ける。 レースに依って、ホゾを挽く場合には、天真の場合に準じて行ひ、手引きに依る場合には、 アンド内にシケラックを詰め込み、アルコールランプに翳して之を溶解せしめたる後、固着せしむるのであるが、 火炎中に入れてはいけないので、之は鋼が柔らかくなるからである。 次に適当の大きさの穴を有するキヌタに、之を同様シケラックにて固着せしめ、天真の場合を応用して挽くのである。

アンドの筒が悪くなって居る場合には、大抵新品と取替えた方がいい。 新品はホゾを荒仕上したのと全部仕上げたのとある。 仕上げたのに大きさから、長さ迄丁度適合するのがあったら、之に越したことはないが、 併し之は丁度適合するのが、中々買當り悪いから、荒仕上の分を買って、ホゾを自分で仕上た方がいい。 新品の分で、天府座が丁度適合せない場合があるから、其時には元の天府座を外して嵌め替へる。

ホゾを切る場合には、アンドの切口よりホゾの肩迄の長さ、 及ホゾの長さを正確にミリメートルゲージを以って測定せなければならない。 此の寸法の取方が間違って居たら、ガンギ車とアンドの切口の上下端何れかと、接触する様になる。

ガンギ車が損傷したり、或いは振れて居る時には、其の修理が中々困難であるから、新品と取替えた方が宜しい。 新品のガンギ車を注文するには、時計全部を組み立てて送ってやる。 そうすれば、ガンギ車やアンドに合せて適当なのものを送って来るから、之をカナに合せて打込みかなくる。 若し穴が小さいときには、丸(やすり)を以て適当の大きさに摺って嵌める。

時として、ガンギ車の押にガンギ歯が触れることがある。 其の時には、押を其の触れる箇所丈、レースにかけて僅かに削り去るか、又は鑢にて摺る。 アンドや天府等を取替へる時には、天府の振切止が正しき位置にある様、正確に取付くるを要す。

それから、分解を行ふ際に、アンクル時計だったら全舞の力が少し位残って居ても差し支えないが、 シリンの場合には必ず全部全舞を戻した後でなければ、分解を行ってはならない。 若し全舞の力が残って居たら、天府を取離す際、ガンギ歯がアンド内に引掛かって、中々取れ悪くく、 其為に往々ヒゲを(もつ)らかすことがある。

注油の際、アンドの内面と外面、即ちガンギ歯と接触する箇所に、極少量の注油をなすのである。
今一つ注意すべきことは、此の接触する箇所は決して(きず)ついたり、 ガサ付いたり、凸凹があったりしてはいけない。 必ず真円で高度の磨がかけられ、滑なるを要す。
以上説明せし以外の点に於いては、アンクル式と同様である。

各段階での姿勢

出典 時計並蓄音機学理技術講義録 大阪時計学院
(大正時代)

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