4. 12吋グレシャム蟲付
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メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
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ハートエッチ精工所(名古屋東陽町) | 大正10年頃 | 外径一尺三寸(直径約42cm)、 文字板径十二吋 | 八日持機械、打方付 |
補色や塗りなおしやワックスがけをまったくしていませんが、木枠は艶々でペイント文字板の状態も良い個体です。 アンソニア式の機械は蟲付きと呼ばれた小秒針もどきの針が付いていますので 振子の動きが見なえいながら時計が動作していることは視認できますので、振子室のないスタイルの欠点を補っています。
比較的きれいな状態で残っていた理由は二つあるようです。 第一に早めに機械が壊れて使えなくなって保存されたこと。 第二にハートエッチ精工所の製品は、この時期出荷にあたり外装の優美さと特別検測を売りにしていたようで、 ニスの塗り方など製品の仕上げ自体が丁寧であったと考えられます。
東陽町のハートエッチ精工所の拘り
二代目与吉が明治38年に小栗富次郎の所有するボンボン時計工場(WATERBURYをモデルとした製品を製造していた)を譲り受けて、 機械、設備一切を東陽町に移転しハートエッチ精工所と名付けた。 以後、第二次世界大戦前までハートエッチのブランドを持つ掛時計や置時計、敷島号蓄音機がここで製造された。
当時の名古屋界隈は組織化された時計工場以外に百軒時計屋と称されたくらいの副業的家内工業があり粗製濫造の不名誉な評判をとっていた。 例えば、ゼンマイは短く、地板は薄くして、さらに悪質な製造所では他の製造所の落第品を材料にして一個の時計を組立てていたとか・・。 二代目与吉がハートエッチで製造に進出するにあたっては、このような不名誉とは一線を画すため、 外装の優美さ特別検測を謳い特にゼンマイは「英国製メリケンハート掛時計発舞」を用いていた。 下扉(写真5)を開けると「調査済」の印があるが、これは社内規定による特別検測(内容不明)を実施済の証ではないかと思われる。
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機械はアンソニア式で他の時計と共通のものですが、 蟲付であるため振り竿の固定位置がやや下のほうに移動されています。 時方のコハゼばねが壊れてゼンマイが急激に開放されたため衝撃で二番車のカナピンが3つダメになっていました。 それを修理しただけで快調に動き出しました。
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当時の広告
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「共同仕入団」は、大陸市場での夢を一時断念した後にその野心を国内市場へ向けたもので大正三年に組織化された。 共同仕入団内報とは、今でいうカタログのようなものでその販売方法はボランタリーチェーンと通信販売の二つの要素を組み合わせた新しい注文販売方式であった。
まず、内報を団員に送付し、置時計、掛時計、懐中時計、蓄音機、貴金属、メガネ、万年筆、ハーモニカ、レコードなど数多くの商品から購入希望を募り、 前金か代金引き換えで販売するもので、商品は選り優った品で「正価廉売」をモットーとしていたため団員は一万人を超えていたそうである。
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グレシャムは十、十二、十六吋とありました。 値段は八吋小長より高かったようです。
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英国製ゼンマイを採用したのは、名古屋もんはゼンマイが二割短い・・・などの悪い風聞を払拭するためでしょうか。
メリケンハアート掛時計並びにその他一般掛時計に使用し得メリケンハアート掛時計の優良なるも 実にこのゼンマイの優秀なる品質に預る處大なり