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世界初の乾電池

2. 明治24年に特許を取得した電気時計

前頁で、屋井先蔵が明治24年(1891年)にわが国における電気に関する最初の特許といわれる電気時計の特許(第1205号)を取得したと述べました。 以下がその特許の図面です。

特許第1205号 電気時計 の抜粋

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電気時計

明治24年5月21日
第1205号

新潟県古志郡長岡呉服町十八番地 原籍
東京府東京市浅草区七軒町二番地 寄留
発明者 屋井先蔵

屋井 電気時計特許図面

この発明は電気力を借りて機械の運動を喚起せしむる時計にして其目的とする所三あり

特許資料協力 : 上山明博氏( 白いツツジ の著者)

先蔵がこの「電気時計」の特許を出願したのは明治22年12月12日、専売特許条例が交付されてから間もない頃のことです。 一年半後の明治24年(1891年)5月に至り、特許局はその特許性を認め、特許第1205号として登録されました。 これは電気に関する本邦初の発明でした。

この電気時計が如何なる類のものであったか、戦前の電気時計事情と照らして確認してみたいと思います。

電気時計の歴史と分類

電気で時計を動かす原理は、電流が針金を流れるときに生ずる磁力を応用するものであり、 これに初めて成功したのは、1840年 イギリスのAlexander Bain(アレキサンダー ベーン)です。 田中久重が万年時計を完成させたのが1851年ですから、ベーンの成功はその11年前にあたり、歴史があります。

ベーンは1841年に普通の機械時計の振子を利用して一振動隔きに電気接触によって瞬間電流、即ち電気的衝動を送り出して特殊な構造の時計仕掛けを動かすことに成功します。 その後も改良を続け各種方式考案しましたが、中でも振子の錘が二つの永久磁石を持ち、振り子の垂直位置の左右に1個づつのコイルを置き、 それに適当な時期に電気を流して振子を吸着・反発させる機構はその後の直流時計(衝動電気時計)の嚆矢となりました。

その後も直流時計の研究は各国で続き、1918年にアメリカのWarren(ワーレン)によって交流電気を使う同期電動機時計が発明されると、 1928年頃からこれが市場に現れるようになります。 しかし、そもそもの電気や電池の事情、また製品価格も高価だったためでしょうか、この時代の電気時計は長い間、一般にはほとんど普及していません。 我国においては、第二次世界大戦後になってからようやく、電池時計の製造工場が各地に設立され、弱電気メーカーが電池クロックの製作に乗り出したり、 従来の時計メーカーも電池クロック製作に転換したりして、時計電化の傾向が顕著になりました。

ベーンの発明から交流電気時計までの間で整理すると以下のような分類になります。

  1. 電池によって動かされる単独時計
  2. 電気で巻かれる機械時計
  3. 親時計が瞬間電流を送って多くの子時計を動かす如くなれる直流時計
  4. 交流電源から起動される同期電動機時計
  5. 天文台などから送られる信号で定期的に時刻補正される修正時計

先蔵の電気時計の考察

先蔵は西洋から輸入された電気でゼンマイや錘が巻き上げられる電機巻時計を見て、完全な電気時計の開発に思い立ったとされています。 機械時計を人力で巻く代わりに電気力で巻く時計が考えられたのは、1870年頃です。 電池で完全に時計を動かす仕組みは製品としてはまだまだ課題が多かったため、過渡期として電気巻時計が生み出された感があります。 そのような状況にある中で、先蔵は過渡期としての電気巻時計に物足りなさを感じ、 上記分類の「電池によって動かされる単独時計」の開発に国内で取り組んだことになります。

先蔵の電気時計を今一度見てみましょう。 文字板の一番大きいダイヤルが分針です。その中の上のダイヤルが秒針、その下が時針、一番下は験電器です。 バラバラな指針が、物珍しく感じますが、意図して設計したというよりも、電磁鉄の吸着・反発の力を時計仕掛けに伝達するためには、 設計上これが一番やりやすかったものと思います。 要の電気時計の機構については世界的に見れば衣鉢を継ぐ内容と云わざるを得ません。 特筆すべきは、振子の欠点である振動の影響を回避するために、テンプを使った点です。 なにしろ、テンプそのものが国産化されていなかった時代です。 精工舎が時計の完成品として掛時計に次いで、金属製目覚時計の生産を始めたのは、明治32年、或は明治33年とされていますが、 精工舎が置時計用のテンプの自製を開始したのは私は今のところの現物確認の状況から明治35年頃と見ています。 先蔵は輸入のテンプや鉄ヒゲを使ったのかも知れませんが、 国産化される10年以上前にテンプの使用にチャレンジしていたことになり、実用品としての電気時計開発に対しての並々ならぬ決意を感じます。

しかし、西洋式ボンボン時計の国産化が進み機械式時計の成熟に弾みがついた時代に電気時計が取って代わるには無理がありました。 実際、先蔵の電気時計もまったく売れかったそうです。 その原因が扱い難い湿電池にあるとして、完全なる電気時計を目指して乾電池の開発に舵を切ることになり、 その努力が世界初の乾電池として結実、「乾電池王」として立志伝中の人になったわけです。

時計ファンとしては、もし先蔵のものづくりの情熱が電池ではなく時計側の機構に傾けられていたら・・・? と考えてしまいます。 時計の歴史がかわっていたかもしれませんね。

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