1. 日比野時計製造所 宮型日指付
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| メーカー | 製造年代 | 大きさ | 仕様・備考 |
|---|---|---|---|
| 日比野時計製造所 | 昭和30代後半(推定) | 全高65cm、幅29p、7.5吋アルミ銀色文字板 | 八日捲き打方付、日指付 |
文字板外周に書かれた日付を針で指し示すカレンダー時計は明治時代に米セス・トーマスなどの機構を参考にして 名古屋などの様々なメーカーでラインナップされ「日指付」と呼んでいました。 例えば尾張時計の場合は明治35年のの定価表を見ると「日指付 八吋十吋二円五十銭上り」と記載されていて、 自動車会社でいうところのメーカーオプション的な恰好で販売していた様子がうかがえます。
当時は兎に角「時刻を知る」ことが最優先でしたので日指機構はさほど需要がなくオプションの扱いが無難だったのかもしれません。 また日付送り段階での負荷が時計不調の原因にもなりうることから中には機構を取り外されてしまっているものも見かけます。 そんなこんなで、おそらく時計職人にも嫌われて大正時代に徐々に姿を消していったようです。
名付けてリバイバルポインターデート
そんな「日指付」が戦後のごくわずかな期間にいくつかの時計メーカーで再販する動きがでました。 背景には腕時計におけるカレンダーの流行があったと思います。 日付付腕時計は今では文字板につけられた窓に日付の数字が出るのが当たり前ですが、 昭和20年代後半にセイコーやシチズンが腕時計に日付を付けた際は所謂「ポインターデート」でした。 そこで、戦後に明治時代にオプション機構として販売していた「日指付」を復活させるメーカーがでた。 そう考えられるので明治時代の製品と区別して「リバイバルポインターデート」と名付けて整理していくことにします。
特徴は以下の通りです。
- リバイバルポインターデートを販売したメーカーは少数派で多くはない
- 時計機構そのものには目新しいところがほとんどない
- 窓タイプのデート機能になると21日、30日巻きや時計自体が電池式、曜日もつけるなど基本的に時計自体がアップデートされているが リバイバル・・にはアップデートや後継製品がないまま時計もメーカーも消滅していった
リバイバルは、腕時計にカレンダーを付けるブームに乗っかって 古い設計の機械や部品を抱えたクロックメーカーが明治と同じ機構のまんまさも新しい時計のようなふりをして 在庫処分をしてしまおう・・・という発想で送り出した製品だったのではないかと想像しています。
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そもそも電池式になろうかという時代です。 ゼンマイの場合は本打式の30日や60日巻きが全盛の時代でしたが時代遅れも甚だしい数取式の八日巻き機械が入っています。 なんと鈴も棒鈴ではありません。50年以上前の名古屋の機械がそのまんま採用されている様子はまるでシーラカンスのようです。 機械に刻印は一切ありません。
精度は時代なりにそこそこいいです。 ポインターデートは一時間半くらいかけてゆっくりと一日分進みます。 早送りは赤い針を直接手で送るとカチカチと一日分ずつ進みます。 切り替わり動作に入ったあたりから完全に切り替わるのまでの数時間は事実上の「操作禁止時間帯」となり、 ポインターデートの針を動かすことはできません。 無理にやると板バネや送りピン、それか針が壊れます。
日比野時計について
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名古屋には昭和30年代に17もの時計会社がありました。 日比野時計はその中のひとつで社長は日比野要治郎氏。 名古屋地区の製品品種は、掛・置・目覚・タイマー・そして電気時計でクロックですが、 日比野時計は掛時計のみだった模様。
日比野時計製造所の沿革を記した資料が見つかっておりませんので想像になりますが、 創業は戦後で活動期間は十数年ではないかと思います。 現存する製品をみる限り特徴的なものはないようで、おそらく新たな開発をする力はなく製品は一貫生産をしていたのかも謎で、 全部部品から作っていたとしても昔ながらの工作機械で昔ながらの時計を作るにとどまっていたように見えます。
例外的に日比野ブランドの電磁振子時計「タイガー電磁時計」があります。 これは例のマグナー電磁時計の協力工場であるマジック時計株式会社のOEM製品であり、 昭和36年頃の極短期間に販売されたもので純粋な日比野の時計ではありません。
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