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地球儀時計

1. 序章 地球儀の話

地球儀の図

明治8年「小学問答、地球儀之部」

『世界初の地球儀は紀元前160年頃ギリシャのクラテスによって作られたと言われています。
現存する最古の地球儀は1492年ドイツの地理学者ベハイムが作った52cmの金属製のもので、ニュルンベルグのゲルマン博物館に有ります。

地球儀が日本へ伝来した時期は不明ですが、天正8年(1580)にはすでに織田信長が地球儀を所有していた事がフロイスの「日本史」に書かれています。 その後天正12年(1519)には天正遣欧使節が秀吉にヨーロッパ製の地球儀を献上しています。

日本に現存する最古の地球儀は1700年にオランダで作られたもので、長崎県平戸市の松浦史料博物館に残っています。 江戸時代に入ると日本でも色々な地球儀や天球儀などが作られましたが、庶民が地球儀を知るようになるのは明治になってからです。 教育が寺子屋から小学校に代わり、ここで正式に授業で教えられたのです。 それまでは一般庶民には仏説による須弥山説(天動地平説)が信じられていて、明治新政府は教育を通して欧米に追いつけるように 世界の中の日本の存在を知らしめる必要に迫られていたのです。 教育の中で天文地理を教える明治8年の教科書「小学問答、地球儀之部」に地球儀の図が登場しています。』

出典 「 探検コム

地理書ブームと地球儀のあゆみ

日本国内にだんだんと地球儀が広まっていった様子を江戸後期以降の古地図や地理書から確認してみましょう。

我が国初の実測日本図は、西洋の天文学や測量技術を学んだ伊能忠敬(いのう ただたか) が17年をかけて全国の測量を行い、1821年に纏められた 「大日本沿海輿地全図(だいにっぽん えんかい よちぜんず)」で 当時の世界水準を示す優れた地図で有ったと言われています。
世界地図も江戸後期には外国から影響を受けた国内製のものが多く作られています。
下の写真はオランダを通じてヨーロッパからもたらされた地図を参考にしたと思われる国産の世界図「円球万国地海全図」です。
簡天儀(天体の時角と赤緯を測定する装置)は出てくるものの、まだ地球儀は登場していません。 というか、世界を二つの半球に分けて描いているので「地球は丸い」を実感させるなかば地球儀一歩手前のような地図です。

世界図-1 「円球万国地海全図」 享和二年八月十五日(1802)

縦117cm×横210cmとかなり大きい
薩摩藩 島津重豪が唐通詞の石塚崔高に命じて作らせたものらしい
漢字、漢文の解説につき、詳細解読困難・・・

下の写真は幕末に多く刊行された大衆向け世界図の一つである「万国輿地山海図説(ばんこく よち さんかい ずせつ)」 ですが、ここには地球儀が登場しています。
大陸の形状が簡略化されて地図としての正確さに欠けた分、地球儀のイラストを用いて地球が球体であることを示しているようです。

世界図-2 「万国輿地山海図説(ばんこく よち さんかい ずせつ)

万国輿地山海図説 - 木版

地球儀図形 部分の拡大

明治になると一大地理書ブームが起きて内田正雄の 「輿地誌略(よちしりゃく)」明治3年刊(大学南校)がベストセラーになりました。
明治初期の三大名著と称されたのは福沢諭吉の「西洋事情」、中村正直翻訳の「改正西国立志編」とこの内田正雄の「輿地誌略」でした。 当時のこのような啓蒙書は新しい時代に目覚めた青年たちの気概を大いに奮い立たせ国の近代化を後押しする大きな原動力として寄与しました。 この「輿地誌略」の中にも「地球儀之図」が有りこれらは庶民が初めて目にした地球儀です。

(1〜10巻内田正雄、11〜12巻西村茂樹)
内田正雄編纂、明治3年〜10年、木版、大学南校〜文部省刊

輿地誌略(よちしりゃく)
明治3年刊(大学南校)内田正雄編纂

地球儀之図

輿地誌略について

明治初期の地理書ブームの火付け役で大ベストセラーになった。 総論では地球の形状から自転の説で始まる天文地理を地球儀や世界地図、天体図を載せて詳述。 各論では世界中の地誌を多くの地図や絵図版入りで展開している。 参謀本部地図課職員として、当時の洋画壇の重鎮の川上寛(川上冬崖)が挿絵を担当している。 また、出版元の大学南校とは明治維新後旧幕府の高等教育機関は昌平学校、医学校、開成学校として復興され、 さらに明治2年12月には昌平学校が大学(本校)に、および湯島聖堂の大学(本校)との位置関係により神田泉橋にあった医学校が大学東校に、 また一橋御門外にあった開成学校が大学南校にそれぞれ改称された。 大学南校は英仏独のユニークな教育機関として有名だが、明治4年の廃藩置県の後、大学(本校)が廃止されて文部省が設立された。

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