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経線儀  クロノメーター

2. クロノメーター

ランゲアンドゾーネ社製クロノメーター

Chronometer(クロノメーター)なる語は、ギリシャ語の時間測定器(time measurer)であるから、 どの時計にも適用出来る筈であるが、事実は運搬の出来る、最も正確な、特殊設計の時計で、天文学者、時計商及び特に広く船で経度測定に用ふるものである。 而してクロノメーターほど綺麗な而して洗練した測器は外には沢山ないと言われているほど、必要なる精度を得るために、最高の技術と熟練とを傾注したもので、 時計技術の誇りといって差し支えない。

クロノメーターは、航海史と密接不離の関係を持っている。と言うのは航海者が船の位置を知るには、先ず経度を測定する必要がある。 それにはGreenwich(グリニッジ)時を示す時計とその地の真太陽時との差を求めれば足るからである。

クロノメーター発明以前には、航海者がこの点について大いに苦しんだのであるが、1714年にはイギリスに海上経度測定委員会と称える団体が出来て、 実験及び発明に対する補助をすることとなり、西インド諸島に往復する航海に於ける、経度測定を改良したものに対して賞金をかけた。 この賞金のうち20,000ポンドは1761年にクロノメーターの発明者 John Harrison にあたえられ、そのために彼は経度ハリソン(Longitude Harrison)と呼ばれるに至ったのである。 彼はその後改良を加え、1762年には懸賞条件たる経度誤差30マイル以内の18マイルという良好なクロノメーターを作り上げ、3,000ポンドの賞金を受け、 更に改良して1764年には5,000ポンドを受け、クロノメーターの構造を審査員に説明した上1769年に更に5,000ポンドを受け取ったのである。

彼のクロノメーターは直径約4吋、大きな銀側に入れられ、鎖引き装置を持ち、ルービを装置したものであった。

Harrison は1776年に83歳で死んだ。彼はクロノメーター以外に簀の小型補正振子や、捲止装置及び補正天府等の発明をした時計界の偉人である。

イギリスの海上経度測定委員会は、ハリソンの死後間もなく更に多額の懸賞を出して奨励した結果、約30年の後にクロノメーターは現在の形式となったのである。 而してクロノメーターに対し研究改良して人々には、 Pierre Le Roy(ピエール ル ロイ), F. Berthould(バーソールド), Breguet(ブレゲー), Mudge(マッジ), J. Arnold(アーノルド), Earnshaw(アーンショー), 等がある。 その内 Le Roy(1717〜1785)は現在総てのクロノメーターに用いられているせん式脱進機(デテントエスケープメント)の発明者であり、 外に懐中時計用の二重脱進機の発明もあって、フランス時計界の最大偉人といわれる人である。

Ferdinand Berthould(1727〜1807)は、スイス国Neuchatel(ニューシャテル)に生まれ、パリに移住して時計に関する著述を行った。 その中にはクロノメーターに関するものもあり、又 Le Roy の脱進機の改良に貢献したところが大きい。 彼の作った黒のメーターの内、スペイン海軍で使ったものが今尚保存されている。

Abraham Louis Breguet(1747〜1823)は、Berthouldと同じくニューシャテルに生まれ、後フランスの最も有名な時計製造者となった人である。 その重要な仕事は天府ヒゲについての実験である。

図 901・2 ランゲ クロノメーターの機械

Thomas Mudge(トーマス マッジ)(1717〜1794)は、12歳の時Grahamに師事し、Grahamの死後その業を継いだ人で、 1765に自由レバー脱進機を発明し、1766年以後は主としてクロノメーターの改良に努力を払い、クロノメーターにつきグリニッジ天文台から1774年に500ポンドの奨励金を受け、 その後新しいものを作り上げて2,500ポンドの賞金を受けたのである。 彼の脱進機はHarrisonのとは全く違い、近世のクロノメーターと同様のものであった。1776年には宮中時計技師に任命された。

John Arnold(ジョンアーノルド)(1736〜1799)は、Cornwall に生まれ、1772年に彼のクロノメーター第一号を作り上げた。 彼は今用いられている天府ヒゲの螺旋状を発明し、Le Roy が発明してBerthould が改良した所の spring dent escapement を更に改良し、1782年に特許を得たのである。 彼は二種金属製の天府輪を採用し、二種金属を互いに熔着方法を案出し、又クロノメーターなる名は彼がつけたのである。 而してクロノメーターの研究発明に対して3,000ポンドの賞金を受けた。

Thomas Earnshow(トーマスアーンショウ)(1749〜1829)は、Ashton-under-Lyne(アシエトンアンダーライン) に生まれ、14歳から時計り徒弟となり1781年に脱進機について特許を得た。 それはArnoldのと少し異なって、今用いられるのと全く同一のものである。 又彼は現今用いられているのと同一の二種金属天府輪を考案した。 而して経度委員会から5,000ポンドの賞金を得た。それについて彼はArnoldにやり過ぎ、自分には少なすぎると言っていたという。

斯して、Harrison及び此等6人の人々の努力によって、19世紀の始めには現今用いられている如きクロノメーターが出来たのである。 その後大した進歩改良もなく、20世紀に入ってから、Paul Ditisheim(ポールディティシェム)によって改良が行われたのである。

最後に一言すべきは、近時ラヂオによって正確なる時刻が報ぜられる様になってからは、従来ほどクロノメーターを重要視する必要がなくなったことである。 従って製造業者の中には製造を中止したものも少なくない。 科学の進歩と世の変化は一刻も偸安(とうあん)を許さないものがある。

「時計学」昭和19年 青木保著 より引用

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