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記念品・景品

4. 田中久重作「万年時計」の置物

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東芝のカラーテレビの景品
1975年製(昭和50年)
全長18cm

田中久重翁 通称儀右衛門

「からくり儀右衛門」の名で有名な田中久重が江戸末期に手掛けた万年時計が複製され、「愛・地球博」に展示されているそうですが、 その複製の模様が先日NHKで放送されました。
万年時計は今までにも大掛かりな分解修理、修復、研究がなされているそうですが、今回の分解・複製の様子はCGを駆使して ビジュアルに解説され、とてもわかりやすく素晴らしい番組でした。
田中久重の名も和時計の株も再評価され、また江戸時代の日本の技術力の高さとハイテク立国日本のルーツはこういった和時計に 代表される技術者の歴史があったればこそという認識が広がりつつあると思います。

そこで、東芝製?万年時計の置物の登場です。
プラスチック製18cm、カラーテレビがまだ高かった頃、東芝テレビを買った人に景品としてつけたものです。 なかなか正確な外観をしていますが上部のドームの太陽と月は有りません。
上の写真は、一丁天符鉄機械櫓時計。和時計君!出番ですよ〜

台座とカバーが付いた状態

説明書より転載


発明と工夫に生きた東芝創設者"からくり儀右衛門"田中久重翁の最高傑作

万年時計

発明と工夫に生きた東芝創設者田中久重翁は、"からくり儀右衛門"と呼ばれ、「懐中時計」「無尽灯」「竜吐水」「須弥山儀」など 数多くの発明品を残してきました。寛政11年(1799年)久留米のべっこう細工師"弥右衛門"の長男として生まれた田中翁は、 幼少の頃よりからくりの才にたけ、14才で久留米絵絣を発明して以来、明治14年、82才の生涯を終えるまで機械技術不毛の時代に あって、その進歩・発展に深い情熱を傾け、大いなる成果をもたらしました。

田中久重翁が76才の時、現在の銀座(東京)に民間最初の、機械工場である電信機工場(東芝の前進)を創設し、以来すでに 100年たった今日でも、東芝には"からくり儀右衛門"田中久重翁の日本電気文化の開拓精神が大切に伝えられ、常に新しいものを 研究し、たゆまぬ努力を重ね、常に前進しております。

この源である"万年時計"は、嘉永3年(1850年)に田中久重翁の天才的な天文暦学の知識、ヨーロッパの時計技術を組み合わせて 完成された和時計中、最高傑作といわれているものです。6角形の各面に様式時刻・和式時刻・24節気の月日7曜・暦(千支)月の みちかけと、その日付が示され、上部には、日本地図が描かれ、その上を太陽(赤球)と月(白球)が、季節に応じた動きを するようになっています。 また、第一面の洋時計にはスイス製の懐中時計がはめ込まれていて、万年時計全体の動きがこの時計によって調整されるように できています。 高さ53センチ、台巾26センチ、6面からなるこの置時計は、一回のネジ巻きで225日余り動き続ける秀品で、現在は東京上野の 国立科学博物館に、重要文化財として、陳列されております。

この開拓精神と、東芝創立100周年を記念して、東芝創設者、田中久重翁の最高傑作である万年時計を置物用の模型に復元し 製作致しました。
この度、東芝製品を、お買い上げに感謝し、この万年時計を、お贈りするとともに、御家庭の繁栄と御家族の健康を御祈りし、 子々孫々まで御愛蔵頂ければ、幸いに存じます。

一九七五年 謹製

田中久重の経歴と成果の概要

1799年寛政11年久留米に出生、久重は通称儀右衛門、父鼈甲屋田中弥右衛門・母よし長男 (家族調書 : 1802年享和2年出生)

田中久重年譜 出典 : 田中近江翁顕彰会 昭和6年12月15日発行
西 暦 和 暦 経歴と成果
    9〜13歳で箱、箪笥等の細工を行う
1819 文政2 雲切人形、翌年、風砲を製作
1824 文政7 大阪等でからくり興行
1834 天保5 大阪移住、懐中燭台発明
1847 弘化4 陰陽総司土御門家より天文学履修、須弥山儀工夫、消火機製作
1849 嘉永2 嵯峨御所宣旨により近江大掾印加を受領
1850 嘉永3 須弥山儀、縮象儀成る万年時計着手、広瀬元恭に蘭学を習う
※ 須弥山儀とは一種の天球儀で仏教思想の天動説に基づいて1年の日と月の運行を表す。月の朔望(新月と満月)、 春夏秋冬、日の出没も示し、時刻に鐘を鳴らす。
1851 嘉永4 万年自鳴鐘成る
1852 嘉永5 蒸気船雛形作る 鷹司関白より「日本第一細工師」の招牌受領、ボギー車工夫、佐賀精煉方に入り、砲、鉄製造関与
1853 嘉永6 佐賀藩 幕府より大砲50門鋳造受注
1854 安政元 ペリー再来航、日米和親条約、次いで日英、日露和親条約
1855 安政2 日蘭条約蘭船伝修生となる。長崎にて汽船・汽車雛形製作、幕府向大砲50門中25門竣工
1856 安政3 大砲方機械製造着手、3、4年幕府向大砲全部完了、電信機関与成功
1861 文久1 佐賀藩電流丸汽罐着手
1862 文久2 電流丸汽罐成る
幕府注文汽罐三基着手
1863 文久3 佐賀藩汽船製造掛合を受命
三重の津に造船所を設け蒸気船製造着手
幕府注文の汽罐成る
1864 元治1 久留米藩初めて汽船雄飛丸購入
久留米藩鑓水製造場兼務
1865 慶應1 金子大吉養子となり入家
佐賀藩凌風丸竣工、日本初の汽船
1866 慶應2 久留米藩銅80ポンド砲鋳造
製氷処方及び製氷機発明(日本初)
1867 慶應3 製造所諸職裁判役、久留米藩中小姓15石3人扶持
1868 明治1 3月、明治天皇大阪湾に観艦式、佐賀藩電流丸旗艦
その汽罐は近江父子の製作 久留米蒸気船千歳丸も参加
製鉄所裁判役
5月上野戦争、久留米藩兵も官軍に参加
1871 明治4 近江、上海に出張
7月廃藩置県
1872 明治5 近江の佐賀在住〜明治5年までの工夫発明又は改良において年代不詳のもの :
無鍵の錠、自在捻子切機、楕円切削旋盤、煙草刻み機、改良竈、自転車、精米機、水車機械、改良車輪、藁切機、風呂竈、 鍍金法、製薬機械、昇水機械、凾ケつ機械、傘轆轤製造機械、写真機、他に記録中の図案十数種
1873 明治6 1月久留米出発
麻布大泉寺に工場
11月に西久保神谷町に移転
1874 明治7 工部省の命によりブレゲー電信機製造に成功
1875 明治8 7月 南金六町に移転、工場は工部省指定
銀座煉瓦街に出店
1876 明治9 A.グラハム・ベル この年有線電話発明
1877 明治10 京浜間に電話試用線
1878 明治11 田中工場全部が工部省に買収され、全工場員同省に採用され、 逓信省電信燈台用品製造所の起源
1881 明治14 近江 東京自邸に卒す
1882 明治15 二代久重官を辞して芝金杉に大工場建設
即ち田中工場
1893 明治26 11月 田中工場を三井家に譲る
同末 芝浦製作所と改称
1931 昭和6 没後50年従五位贈位

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