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和時計の文献

4. 工芸 和時計特集号

「工芸86号」 和時計特集号
発行所 日本民芸協会
発行 昭和13年4月5日
部数 一千部限定
定価 三円五十銭

表紙

中表紙

表紙写真使用許可 : 財団法人 日本民藝館
使用期間 : 2005年7月より無期限

1 頁

『挿画55葉、解説図29個、本文131頁、挿画は上口作次郎、日本民芸館、高林兵衛、板倉賛冶、 塚田泰三郎の諸氏の蔵品からなり、写真は美しく、カットは川上澄生氏。今まで出た和時計図譜としては一番であろう。 本文は塚田泰三郎氏の執筆にかかり、伝来と製作、日本時刻法、日本歴、種類と機構などについて詳述されている。 和時計の構造について最も豊富な知見をもたれる塚田氏の著作であって、今後どんな本が出ようとこれは文献史に残る名著といえよう。 写真のとり方も申し分なく和時計の工芸的価値を語るいい号である。』

式場隆三郎著「民芸と生活」より引用

式場氏が絶賛しているように国内で初めて和時計の機構と歴史を詳述した古典的名著である。 表紙が漆絵装、各種和時計写真貼り込、全頁手漉き和紙装の見事な民芸品と呼べるもの。 和時計の名前はこの本を出すときに柳氏と塚田氏が相談して初めて「和時計」という名前を考え、使ったと書かれているが NAWCC131支部会報「古時計」第20号(1988.8)に明治21年の時計修理業開業チラシの中に「和時計各種手入直シ」の記述が有るのが 報告されているので、和時計の名前は一部では明治から使われていたものらしいが、この言葉が定着したのはこの「工藝86号」の 寄与によるものである。
「工藝」誌は柳宗悦氏が民芸運動の日本民芸協会の機関紙として発行したもので、これ自身が素晴らしい工芸品であった。 戦後昭和26年まで、120号が発刊されたが、現在は機関紙「民藝」に受け継がれている。 

塚田 泰三郎(1897〜1985)

明治30年栃木県眞岡市生まれ、栃木県立眞岡中学校、栃木県師範学校卒業、同付属小学校教師、県下各小学校長、 教育委員会課長等歴任、早くから柳宗悦氏の民芸運動に傾倒、栃木県民芸協会常任理事、栃木県立美術館初代館長を歴任。 地元益子焼の浜田庄司氏や版画家川上澄生氏らと親交があり、昭和28年栃木県文化功労賞受賞。昭和60年没(享年88歳)

塚田泰三郎氏の写真は過去の週刊誌より転載。週刊誌名不明。

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