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日本の時計会社

2. 尚工舎・シチズンの概要

1918年(大正7年)3月、第一次世界大戦の終わった年に山崎亀吉氏が東京市郊外上戸塚に 尚工舎(しょうこうしゃ)時計研究所を設立。 腕時計はまだ出始めたばかりで懐中時計の時代である。
スイスから専門書を購入して1921年(大正10年)に時計学校を創立。 部品製造を習得し創立六年半後に10サイズ(16 1/4型)懐中時計を完成した。 この型は修理の際に部品を製造元から買ってもらうために独自の設計にしたと言われているが、ねじにもレーエンヘルツという 特殊インチネジを使っている。

株式会社山崎商店社長 山崎亀吉氏

シチズン時計株式会社の設立は1930年(昭和5年)5月28日である。 当時東京市長だった後藤新平氏が最初の懐中時計を永く広く市民に愛される様にと、市民の意味で「CITIZEN」と名付け、 これが社名のゆらいとなった。
この頃になると腕時計の流行は本格化し、腕・懐中の比率は半々になっていた。 このため腕時計の発売を急ぎ、設立後わずか一年でシチズン最初の腕時計10 1/2型を完成した。 スイスのプルミエル・キッドという安価な製品をモデルにして、一日も早くと、図面は覚書程度で時計を分解し、 職場長にそっくり作れと渡したという。 10 1/2型に続く8 3/4型、5 1/4型いずれもスイス品をモデルにしている。 ただし安物ではだめだとミドーが選ばれている。

その後、田無工場、板橋工場、飯田出張所、大阪出張所、シチズン商事と拡張を続け、セイコーと伍して腕時計生産の大御所となった。

参考文献:

  1. 「時計製品に見るシチズンの歩み」他
  2. 山崎亀吉氏の写真は日本時計商工新聞の大正15年11月20日号より

大正15年 株式会社山崎商店 創立

陣容を新たにして株式会社山崎商店創立
業界に輝くホシエスマーク
依然として光を放つ
== 安田商事と提携 ==

時計貴金属界の権威貴族院議員(きぞくいんぎいん) 山崎亀吉(やまざきかめきち)氏の経営せる山崎商店は時計貴金属装身具、 ホシエスシャープペンシル等の製造販売を目的とし本店を東京市日本橋区通り二丁目に出張所を大阪西区立売堀に又○○戸塚の 二ヶ所に堂々たる工場を有し操業以来三十年の古き歴史を有する老舗であってホシエスの商標は斯界に輝く星の如き声明を博して 居ることは今更云ふまでもない、 就中(なかんづく)巨万の費用を投じ十年の歳月を 只管(ひたすら)研究に没頭して製造販売に係る懐中時計シチズン及ホシエスシャープペンシルは 優秀国産品として其の聲價(せいか)を内外に認めらるゝに至ったことは同氏の苦心と努力を如実に 物語るものである、・・・・

日本時計商工新聞の大正15年11月20日号より

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